嫌われる勇気
2018.12.05
少し前に、「嫌われる勇気」という本が売れていた。今でも書店の店頭には平置きに置いてある本である。

心理学者であるアルフレッド・アドラーの書いた本で、私はまだ読んでないので中身は分からないが、タイトルだけ見ての感想は、大変大切なことであると感じている。

嫌われたくないというのは人間誰しも思う感情である。「本当は言わなくてはいけないのに、それを言うと嫌われる」と思うと逃げたくなる。そしてその方が楽だから、結果的に逃げる。その結果が、部下の成長を妨げることとなり、成果を上がられない社員はいじけるか、最悪退職をしていく。自分の逃げの姿勢、つまり自分の弱さがこの様な結果を作っていることに気が付いていないことも多い。

私は社員に、「良い社長になろうとは思っていません、成果を出す社長になります。その為に嫌われてもぜーんぜん構いませんよ」と堂々と言っている。それは、「社員の皆さんにとって大変なことであるかもしれないが、成果を上げる為には厳しいことも実行します」と宣言をしていることに等しい。

なので、「嫌われる勇気」が大事なのである。

※アドラーの「嫌われる勇気」の内容とは違っているかもしれませんので、悪しからず。
2018.12.05 20:47 | 固定リンク | 社長のつぶやき
普通にすごい人
2018.12.04
昨日はダイバーシティについて書いた。

今日は別の視点から関連するとについて思うところを書きたいと思う。人は極端なことやレアケースを好む傾向がある。当然それは目立つことであり、「話題性」という観点で言えばこれ以上ない題材となる。

例えば「偏差値40から有名大学に合格した」とかいう話などがそれにあたる。勿論その題材になった人はとても努力をしたはずであるし、それは素晴らしいことである。しかしそれをことさら凄いこととして広めようという感覚には残念ながら馴染めない。そしてそれを極端に礼讃するような風潮にも違和感を感じる。また、時に本人がそれを吹聴するときもあるが、「・・・」である。

普通に一生懸命頑張って有名大学に入った人もいるし、大きな成果を上げた人もいるはずである。しかしヘタすると、「そういう人はやっぱり頭が良い人だから」、とか「もともと育ちが違うから」とかという話になり勝ちであり、話題にもならない。

私は、目立たないが実はとても努力をして、大きな成果をだし、でもそれを顔に出さず、多くを語らず・・・と言う人を沢山知っている。そしてその方がカッコいいと思うのである。
2018.12.04 21:23 | 固定リンク | 社長のつぶやき
ダイバーシティ
2018.12.03
最近「ダイバーシティ」という言葉を聞くことが多い。

その意味は「多様性」ということである。アメリカでは様々な人種がいて、その多様性を認め合いながら共存共栄することで国が形成されている。そしてお互いが認め合いながら平和で豊かな社会を築いて言うことは大事である。

なので、多様性を認めるとはいうことは勿論大切なことである。しかし同時に、多様性だから「何でもあり」と言うのも間違いであると思う。これは先日書いた「自由」と「自分勝手」の違いと同じだ。

「自由」とは「ある部分は明確に文書化できるが、ある部分では社会の構成員がなんとなく意識しているルール(慣習法)があって、その範囲内で自由に行動、発言できるということである」と書いた。つまり「ゆるやかな枠組み」があり、その中では自分の意思で行動が出来るということである。

では、「ダイバーシティ」における、ゆるやかな枠組みとは何か。それは、「自然かどうか」で判断できると思う。例えば子孫繁栄をするために男女が惹きあうのは「自然」である。なので「不自然」なこと(あるいは宇宙法則に反すること)を個性や独自性であると声高に主張するのはおかしい気がする。自然界にもまれに不自然なことは存在するが、それは自然の中のごく一部でありマイナーである。もっと言えば「不自然が気が付かない程度に自然に存在しているのが自然である」と言える。

ダイバーシティについても、同じことが言えると思う。
2018.12.03 21:13 | 固定リンク | 社長のつぶやき
自由と自分勝手
2018.12.01
今日から再開します。

アメリカ合衆国にある自由の女神。Statue of Liberty に象徴される「自由」は人が幸せに暮らすためにはとても大事なことである。強大な権力者がいて、言論の自由、発言の自由、行動の自由などが、許されていなかったとしたら、それは非常に抑圧された生きずらい世の中になってしまう。

しかし同時に、自由と言うのは「何でもあり」ではない。「俺は自由なのだから、何でも俺の好きなようにやらせろ」と言うのはおかしなことになってしまう。もし、これを許すと「オレはあいつが気に食わないからぶん殴る、それは俺の自由だ」ということになってしまう。つまり「無秩序」な世界が形成される。カオスである。これを「自分勝手」という。

自由とは、ある部分は明確に文書化できるが、ある部分では社会の構成員がなんとなく意識しているルール(慣習法)があって、その範囲内で自由に行動、発言できるということである。

繰り返すが、何でもありは自分勝手となってしまう。なので「自由」と「自分勝手」をはきちがえないようにすることが肝要である。
2018.12.01 21:09 | 固定リンク | 社長のつぶやき
理想論者の罪
2018.11.27
何かを行おうとしているとき、「あーすれば良い、こーすれば良い」と言う人がいる。

また、現在やっていることに対し、「なんでこうしないのか、もっとこうした方が良い」と言う方がいる。そのようなアドバイスは時にはとても有難いが、時にはとても迷惑な時がある。

有難いアドバイスはどんなものか。それは自分の経験に基づいた具体的なアドバイスか、あるいは自分の経験ではないが知合いなどが実際に経験をしたことに基づくアドバイスである。また、物事の原理原則に基づくアドバイスも大変有益なものである。有難いアドバイスは、質問から始まるケースも多い気がする。そしてその回答から適切なアドバイスをいただけるとより具体的である。

逆に迷惑なアドバイスはどんなものか。それは、単なる「思いつき」であったり、自分の好み、趣味趣向に基づくアドバイスである。具体性に乏しく、つまり評論家の範囲を超えない。そして、それを「理想論」的に語る。現実とのギャップを感じると不安になったり混乱することもある。迷惑なアドバイスはこちらの話を聞くことなく断定的な物言いの場合も多い。

迷惑な理想論者からのアドバイスには耳を塞ぎ、無視する。これに限るのである。
2018.11.27 21:11 | 固定リンク | 社長のつぶやき

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