日曜日はアートシーン「ニホニウム通り」
2018.04.22
日曜日はアートシーン

 理化学研究所(理研)の森田浩介グループディレクター(九州大学大学院理学研究院教授)を中心とする研究グループが発見した「113番元素」。2015年12月に国際機関がに新元素であると認定した。理研は埼玉県和光市にあるが、それにちなみ、和光市は最寄りの和光市駅から理研までの道を「ニホニウム通り」と命名し、あらたに整備された。

 その道には各元素番号が記されたブロンズ鋳物製の路面板があるが、それをモリチュウで制作させていただいた(これについては後日ご紹介します)。また途中あるポケットパークには元素周期表の中で輝く「ニホニウム」をあしらったモニュメントレリーフも製作させていただいた。こちらはお話を聞いた瞬間に頭に浮かんだデザインで、個人的にも気に入っている。

 道路整備は和光市の予算に加え、多くの方のご寄付で進められた。この取り組みは公共性の高い工事にいわゆる「クラウドファンディング」、つまり決められた目的に対し寄付を募るということで埼玉県でも注目されているとのこと。先日寄付者の名前が刻まれたプレートがはめ込まれ、モニュメントが最終形を見た(ブロンズ鋳物のレリーフは昨年に設置済み)。その式典が昨日行われた。ちなみに弊社会長の森敬介の名前もあった。

 世界的快挙に関連する仕事をさせていただいたことは、モリチュウにとって大きな誇りである。

※写真があまり良くなくてすみません・・・。

 

2018.04.22 21:04 | 固定リンク | アートシーン
ボンズさん
2018.04.15
ボンズさん

いよいよボンズさんの登場
昨日は、久しぶりの川口駅周辺の作品を一緒に見て歩いた。

ボンズさんは、本名赤川政由さん。銅板鍛造作家である。つまり銅の板を叩いたり折り曲げたりして作品を作る。ボンズは、坊主(ボウズ)の方言だとか。意味は子供を指す。本人と話をしていても、ボンズそのものである。


実は、ボンズさんの作品は、数多く川口にある。
いつまでも子供心を忘れないボンズさんではあるが、作品には必ず深いメッセージが込められている。
それは、川口の場合は「街の記憶」。変わりゆく街並ではあるが、かつてそこにいた人や、そこにあった日常生活を感じさせる作品。市井には教科書に載らない営みがあったはず。その誰しも忘れてしまいそうな記憶を、疎かにしてはいけないと、作品が優しく、そしてさりげなく語る。

「街の記憶」は川口を代表する建築家であった、叔父でもある森行世さんが常に建築作品に織り込んで来た。森行世さんとボンズさんは常に一緒に歩んで来た。

ボンズ作品マップを作成しなくてはと思いながら、まだ出来ていない。これをするのは自分だと自覚してはいるが。

2018.04.15 20:06 | 固定リンク | アートシーン
さとうそのこさん
2018.04.08
「さとうそのこ」さんは、私が尊敬する銅板鍛造作家である赤川政由さんの奥様である。
その赤川さんのことは今後たっぷり書く機会があると思うが、今日は「さとうそのこ」さんである。
さとうさんも作家の一人で、特に人形作家と言われている。かつては「その子人形」で知る人ぞ知る人気作家であり、小学校の音楽の教科書の表紙を飾ったことがある。が、その才能は人形作家を超えていると、私は感じている。最近は平面での表現も増えており、絵本の挿絵を書いたりもしている。
表現はその人の中から出てくるものなので、作風そのものであるが、とにかく優しく柔らかい。「ほのぼの」という表現が最も相応しく、まさに春の作家なのだ、と感じる。
多くの作品に中で、私が特に好きなのは立川の保育園にある壁面レリーフである。モザイクで子供たちを表現しているが、その輪郭を赤川氏の銅細工で制作している。それにより全体が締まり、そのこさんの色彩が引き立つ。

残念ながら立川の幼稚園はモリチュウのプロデュースではないが、この組み合わせは是非モリチュウの手で再現したいと思っている。





2018.04.08 20:12 | 固定リンク | アートシーン
新市立高校
2018.04.01
川口市新市立高校が竣工した。

お蔭さまで、校内のサインを製作させていただいた。
通常、教室のサインはステンレスやアクリルの板に黒い文字が書かれているようなものが多い。最近では木目調などやわらかい雰囲気の物も多くなってきたが、今回は川口ということもありアルミ鋳物での製作となった。

設計事務所の先生は、サインをとても重要視している方で、形状と鋳物らしさをどのように表現するか・・・を微に細にとことん考えていただいた。表面は無塗装であくまでも素材感にこだわった。製作側からすると無塗装は非常に勇気がいることだが、建築全体をイメージしている先生は、打ちっぱなしの壁面に生える仕上がりを明確にイメージされておられた。

結果、写真のような形状となった。平面から飛び出してきた立体ピクトサインは今までになく斬新で、視認性も高く、素朴で少しユーモラスな形状となった。学校の人気者になってくれればうれしい。

その他、引手、吊り下げのサイン、校章なども製作したが、これらについては改めてご紹介をします。









2018.04.01 21:24 | 固定リンク | アートシーン
勝鬨橋
2018.03.25
先日、東京都中央区の豊海に行く用事があった。
その際に勝鬨橋(かちどきばし)を渡った。ふと横を見ると、歩車道との間の横断防止柵に鋳物のパネルが付いていた。
勝鬨橋は、東京都中央区にある隅田川に架かる橋であるが、その名前の由来に興味が沸き調べて見た。
すると大変興味深い内容であった。少々長くなるが紹介をしておきたい。

「1905年(明治38年)1月18日、日露戦争における旅順陥落祝勝記念として有志により『勝鬨の渡し』が設置された。」
「埋め立てが完了した月島には石川島造船所の工場などが多く完成しており多数の交通需要があったことで、1929年(昭和4年)「東京港修築計画」に伴う4度目の計画で架橋が実現した」。
「建設当時は隅田川を航行する船舶が多かった。このため陸運よりも水運を優先させるべく、3,000トン級の船舶が航行することを視野に入れた可動橋として設計され、跳開により大型船舶の通航を可能とした」。
「勝鬨橋の工事は1933年に着工し、1940年6月14日に完成。1940年に「皇紀2600年」を記念して月島地区で開催予定であった日本万国博覧会へのアクセス路とする計画の一環でもあったため、格式ある形式、かつ日本の技術力を誇示できるような橋が求められた。そのため、イギリスやドイツ等から技術者を導入せず、全て日本人の手で設計施工を行った。結果的に博覧会は日中戦争の激化などもあって軍部の反対により中止されたが、勝鬨橋は無事完成し「東洋一の可動橋」と呼ばれるほどの評判を得た」(出典は.Wikipedia)。

鋳物パネルをよく見てみると、橋面が跳ね上がり、船が橋の下を航行する姿が描かれていることが分かる。また湧き上がる雲と飛ぶ鳥に、我が国日本がこれから世界に出ていくんだという力強さが伝わってくる。日本の当時の勢いを感じさせる鋳物パネルである。「勝鬨橋の格式と技術力」を誇示するために鋳物も一役買っているのではないか・・・そうだとしたら、鋳物に携わる者としては大変うれしい限りである。

2018.03.25 15:23 | 固定リンク | アートシーン

- CafeNote -