社長ブログ

2018年06月

2018.06.10

「ハートの塔」

見たことのある方も多いであろう。

品川駅東口のデッキの上から見える二本の柱。圧倒的存在感。
これは、東京芸術大学鋳金研究室のメンバーが2004年に製作をした「ハートの塔」である(本当のタイトルはハートマークが2つ付いている)。

デッキから見てもその大きさに圧倒されるが、地上から見上げ、歩行者と比較すると、そのスケールの大きさをさらに実感することができる。そして確かにモニュメント上部にはハート型が見て取れる。

ビルや電信柱など高いものは他にもあるが、その存在感を圧倒的にしているものはなんであろうか。それはきっと素材であろう。これは鋳鉄製である。近くで見ると表面にひっかき傷のようなものがあるが、これは鋳物でなくては表現できない。念のため言っておくが、これはキズではなく「デザイン」である。もしこれが磨き仕上げであれば軽々しくなってしまい、圧倒的存在は感じられないであろう。表面のデザインに加え、鋳物の錆が表情に深みを与えており、「人と人、人と街の共生」という永遠の願いを語りかけてくる(ちなみに私は鋳物の「錆びフェチ」である)。

ハートという軽いイメージのものを、重厚感のある鋳鉄で表現するギャップも面白い。いずれにしても、鋳鉄をここまで大胆に使ったモニュメントは珍しいのではないかと思う。

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2018.06.09

揃える(2)

揃えるレベルが違いを生む。

昨日、経営計画発表会で揃えることの大事さを再認識した。そんなことを考えているうちに、確か高校野球ですごいお辞儀をする学校があったなぁと思いだして、調べてみた。そうしたら出てきた。山形中央高校だ。テレビでも放映されていたので、知っている方も多いと思う。

山形中央高校は朝練でお辞儀の訓練をしたり、行進の練習をしたりしているがそれがピタッと揃っている。余りにもすごいのでビジネスマンが見学に来るらしい。

揃えるということはどういうことか・・・改めて考えてみたが、いみじくもその答えを監督が言っていた。「仲間を思いやること」である。お辞儀にしても、行進にしても自分が好き勝手していたら絶対に揃わない。相手の動きに合わせたり、全体の動きに目くばせをして合わせることが必要だ。それは自分勝手の反対で、「思いやり」であり相手への「気遣い」につながる。それが出来ていないと、共に働く仲間への気遣い、ましてやお客様への気遣いなど出来るはずはない。

そう考えると、次に使う人のことを考えて物を元の位置に戻す「整頓」も、ベースは「思いやり」「気遣い」である。揃える訓練がそこにつながると今更ながら理解した今日であった。

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2018.06.08

揃える

本日は第九回目の経営計画発表会であった。

これは毎年年度初めに開催する恒例行事となっているが、内容としては「今年度はこの様方針で会社運営を進めます」と言うことを社員に伝える行事である。

その際には日頃のからお世話になっているご来賓をお招きしている。やはりご来賓なので会社の一体感を感じていただく必要がある。一体感を感じていただくためには形でそれを表さなくてはいけない。その一つがお辞儀である。たかがお辞儀、されどお辞儀。これがなかなか揃わない。なので、何回も練習する。きっと50回位はやっていると思うが、そこまでしてやっと揃うかどうか、である。

ある意味くだらない事かもしれない。しかしこのくだらない事にこだわって、繰り返し練習できることが、会社の強さにつながっている気がする。

第42期がスタートした。今期もいばらの道が続くが、社員の一生懸命な姿を見て、社員と一緒に一体感を持って乗り越えていく覚悟をした1日であった。

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2018.06.07

質問に答える。

国会中継は面白い。

何が面白かと言うと、ミスコミュニケーションの連続が楽しめるからである。議会や委員会では様々な質疑応答が繰り広げられるが、その質問に対して答えていることがまれであり、その対応はある意味芸術的ともいえる。

質疑応答はコミュにケーションを取る上で非常に重要である。この質疑応答が出来ない人があまりにも多い。具体的に言うと、
「これはいつまでに完成しそうですか」と聞くと、「そうですね、2、3日くらいです」と答える場合がある。しかしこれば「いつ」と聞いているので、「何月何日」と答えるのが正しいはずである。
また、「これはペンですか」と聞いた時に、「青いのがペンで、赤いのは鉛筆です」といった答えをするときもある。「これはペンですか」、は'Yes-No Question'なので「はい」か「いいえ」が最初に来なくてはいけない。
「なぜ問題が発生したのですか」と聞くと「いや、実は〇〇さんには言ったんですが、どうも理解をしていなかったみたいで・・・」などとなる場合がある。しかしこれは'WHY?'なので「なぜならば」で始まる答えでなくてはいけない。

まずは5W1Hの質問なのか、Yes-No Questionなのかを明確にする。そして'when'と聞かれたら「〇月〇日」、'Where'と聞かれれば、「場所」を答える。'Yes-No Question'でれば最初に「はい」か「いいえ」を答える。

ここを意識すると、余計な会話がなくなり、余計な情報がなくなり、伝えるべきことが伝わり、時間も短縮できる。そして結論から話すという貴重な習慣が身につく。話が長い人は、話の核心が見えないため、結果的にコミュニケーションが下手である可能性がある事を自覚する必要がある。まずは自分が質問に答えているかを確認する習慣を身に付けることが重要ではないか。

2018.06.06

執念をもっているか

クールでドライは格好悪い

ひがみではない。クールで恰好良く結果を残す人がいる。その典型はイチローであろう。しかしイチローは実は努力の人であり、ルーチンにこだわる人であることは有名である。

執念というと怖い感じがする。しかし実際に結果を出すには執念に近い気迫が必要である。執念には徹底が求められる。徹底とは他人から異常と思われるくらいに行うことと学んでいる。残念ながら「自分が出来る」と思っている人は学ばない。「大丈夫」と慢心をしている人は間が抜けるため結果を出せない。なぜならば、執念を持って仕事をする必要性に気が付かないからである。そして悲しい哉文句を言う。

常に危機感があるから執念が生まれる。しかし一般の人には執念は生まれづらい。なぜなら今月の給料は支払われるし、他人が、会社が、国が何とかしてくれると思っているからである。なぜ、自分の人生を他人の掌中に委ねるのか。

湯気が立つくらい執念を持って仕事をしている人が、最終的に結果を生む。だからクールで恰好良くはない。仮にそう見えたとしても、背景になる血みどろの努力に注目すべきである。

2018.06.05

変わるということ

時代は変わる、お客様も変わる、会社も変わる、自分も変わる。

変化対応が生き残るためには必要であるという。これは言い古された言葉だ。恐竜が滅びた理由は何かというと、それは地球の大きな気象変動に対応出来なかったからと言われている。最も強い昆虫がゴキブリであるように、したたかに生きるすべを身に付けることは必要だ。

音楽も昔ながらの音楽をただ続けていればよいというわけではない。流行に流されない姿勢はポリシーを貫いているようでかっこういいが、結果的に売れなければ意味がない、というか生きていけない。サザンオールスターズがヒット曲を出し続けているのは、レトロな懐かしさを感じるサウンドを、今にマッチするようアレンジする嗅覚のするどさと、その引き出しの数の多さのなせる技であろう。

変化を求められているにもかかわらず変化できない、というが変化しようとしないのはなぜか。それは変化する必要性を感じていないからと、変化しなくてはいけないことに気づけないからである。ぼーっとしているのである。進歩せざるは退化である。変化を、言い換えれば成長を拒否あるいは否定することは、意識していようと、無意識であろうと人生を捨てることに等しい。前向きな変化は必要ない。環境に応じて変化をすることが必要なのである。

時代の変化とともにマーケットも変化する。お客様もライバルも変化する。自社も変化しなくては生き残れない。いわんや、自分自身をや、である。

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2018.06.04

本を読む習慣

本を読む習慣は、良い習慣か、良くない習慣か・・・・?

基本的に本を読む習慣は悪いことではない。他の人が過去に体験をしたことを効率よく学べるからである。しかし、それも年齢にもよるのではないか。

私的な感覚では、40歳までは読書欲が旺盛である方が良いと感じる。しかしそれ以降は少々考えなくてはいけない。まず、本を読むと時間が取られる。そして知識が増える。知識が増えることがいいかというと勿論いいことではあるのだが、却ってよくないこともある。これは情報化社会の中で情報過多になってしまう現象に似ている。情報過多になると身動きが取れなくなってしまう。多読の場合も情報過多同様の現象となってしまい、いざ得た知識を行動に移そうとすると迷ってしまうことが多い。また、読んでいる本が面白いので読書に時間が取られてしまい、結局行動できないで終わってしまうことが多い。つまり、読むことが目的になってしまっているのである。

そんな中、最近また無性に本が読みたくなっている。年に数回そのような病気が発生するのだが、いつもそこで疑問に感じてしまう。なので最近は適当に読むことにしている。そして途中で終わってしまう本が積まれている、いわゆるセミ積読状態が生まれる。

積読も問題だが、読書しても得た知識を使って具体的な行動に移さないことはもっと問題である。なぜならば価値を生み出すのは行動だからである。

このせめぎあいの中、どう折り合いをつけていくかが現在の課題である。面白い本ほど罪なものである。

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2018.06.03

日曜日はアートシーン

先日、大阪に出張に行った際に見つけた透かしのレリーフ。

細かい網目の中でひと際目を引く美しいレリーフを見つけた。唐草の中に浮き立つ鳥は孔雀であろうか。孔雀は何と言っても、優雅で美しい。様々なところで抽象化されデザインのモチーフに使われている。そしてその美しさから、愛、美、幸福、富、繁栄の象徴とされている。その孔雀が左右シンメトリの唐草文様の中心にバランスよく溶け込んでいる。

材質は多分鍛鉄であろう。そして透かしのレリーフの本当の美しさは表からではなく内側から見たときに分かる。これはステンドグラスも一緒である。キリスト教の教会を外から見てもステンドの美しさは分からないが、内部から見るとその色彩の美しさに「はっ」と息を呑む…という経験をした方も多いと思う。

「このレリーフもきっと内側から見ると・・・」と思って見てみると、やはりそうであった。外側から見ただけでは分からない文様の美しさが浮き出てくる。そして何気なく配置されている網目とそれらをつなぐ構造部もしっかりデザインされていることが分かる。

このビルのオーナーがきっと「繁栄」を願って設計をしたのであろう・・・とその思いを作品から感じ取ることができた。

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2018.06.02

ブログは何のために書くのか

昨日は久しぶりにブログを書かなかった。

そもそも、なぜブログを書くかというと、その日の面白かったことや、気付いたことなどを書くことで、1日の振り返りをすることになるからである。1年に1回振返りをする習慣があるだけで大きな差が生まれるのであれば、毎日振返ることで、もっと大きな成果が生まれることが期待できる。あのラグビーの五郎丸も2015ラグビーワールドカップの期間中、毎日日記を書いていたではないか。では「やらない手はないと」思い書き始めたのである。

しかし、誰も見る人がいないと心が折れる。そのためには「外圧」が必要である。そこで公開をし始めたのである。最近は社員も見ていて、今度モリチュウメルマガのブログ欄のタイトルに、ご丁寧に「社長ブログ、ほぼ毎日更新中」と入れるという(「ほぼ」と入れてくれたのが不幸中の幸い)。これ以上の外圧はない。

さて、昨日といえば、残念ながらその「振返り」が出来なかった。振り返りを阻む大きな外圧の所為である。これはなかなか手ごわい。自覚症状はあるものの、その程度は徐々に深く体の中に浸透し、体全体を麻痺させていき、最終的に振返りをする機能を停止させる。そして昨日は、結果的に悲しい哉その外圧に屈したのである・・・。


要するに・・・単なる飲み過ぎである。


今から、ここから、自分から(by矢島茂人)

今日からまた頑張ります!

(最後に行ったお店、川口銀座通り商店街にある「ミルウォーキーズクラブ」の写真とURLを記載しておきます。おいしいバーボンが飲めます!)

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http://milwaukeesclub.c.ooco.jp/