社長ブログ

2018.12.04

ダイバーシティ

最近「ダイバーシティ」という言葉を聞くことが多い。

その意味は「多様性」ということである。アメリカでは様々な人種がいて、その多様性を認め合いながら共存共栄することで国が形成されている。そしてお互いが認め合いながら平和で豊かな社会を築いて言うことは大事である。

なので、多様性を認めるとはいうことは勿論大切なことである。しかし同時に、多様性だから「何でもあり」と言うのも間違いであると思う。これは先日書いた「自由」と「自分勝手」の違いと同じだ。

「自由」とは「ある部分は明確に文書化できるが、ある部分では社会の構成員がなんとなく意識しているルール(慣習法)があって、その範囲内で自由に行動、発言できるということである」と書いた。つまり「ゆるやかな枠組み」があり、その中では自分の意思で行動が出来るということである。

では、「ダイバーシティ」における、ゆるやかな枠組みとは何か。それは、「自然かどうか」で判断できると思う。例えば子孫繁栄をするために男女が惹きあうのは「自然」である。なので「不自然」なこと(あるいは宇宙法則に反すること)を個性や独自性であると声高に主張するのはおかしい気がする。自然界にもまれに不自然なことは存在するが、それは自然の中のごく一部でありマイナーである。もっと言えば「不自然が気が付かない程度に自然に存在しているのが自然である」と言える。

ダイバーシティについても、同じことが言えると思う。