社長ブログ

2019年01月

2019.01.17

愚問

例えば、「希望者は懇親会に参加してもらってください」という指示をしたとする。
それに対し、「参加者全員が懇親会に参加したいといったら、全員に参加してもらってよろしいでしょうか」という質問が返ってきた。これは愚問である。なぜなら、指示内容からすれば、「全員が希望者であれば、全員参加してもらう」という答えになるからである。

今までは、こういう質問に対しても丁寧に答えていたが、正直時間の無駄なので、「くだらない質問は受け付けない」と決めた。要するに「自分で考えろ」と突き返す。

分からないことを聞くことは大事である。しかし、「何でも聞けばいいや」という安易な姿勢は自分の頭で考える習慣を放棄することであり、甘えの姿勢を許すことになる。もっと怖いのは、自分自身が愚問を発していることに気が付いていないことである。そういう場合は本人もさることながら、上司に対しても指導が足りないと気が付かせてあげないといけない。冷酷に見えるが、そうしないと社員が鍛えられない。ぬるま湯に入った社員は所詮ゆるい人材にしかならない。

しかし、そういうゆるい人材が安住しているのは、社長自身の甘い姿勢が原因である。突き詰めると甘い社員を育てているのは、社長自身に対する甘さであり、社長の責任なのである。嫌われることを怖がっていたら何もできない。自分に負けてはいけないのである。

2019.01.16

幹部飲み会

今日は「幹部飲み会」であった

これは幹部との「定期的な飲み会」で課長以上と一対一での飲み会である。
飲み会で聞くことは、「何か問題はないか」、「困っていることはないか」、「部下の状況は問題ないか」・・・といったことである。なんか社内を探っているようにも見えるが・・・実際、結果的にそうなっている可能性も高い。
なので、すべて正直に話をしてくれるかというと、そうしてくれるかもしれないし、話さないかもしれない。それでもそういう機会を作ることは大事である。少しでもそういうことが伝わってくれば、早い段階で問題解決できるかもしれないし、モヤモヤがスッキリするかもしれない。これはお互いにWIN-WINである。そして、最終的には幹部との信頼関係である。

もう一つは社長が今何を考えていることを語る、そして夢を語ることである。最悪は「あーでもない、こーでもない」と文句を言い続けることである。これだけは絶対に避けなくてはいけない。今日は、「こうしたい、こうなりたい、だから一緒に頑張ろう」と熱く語った。昨日のT社の社長の影響もあるが、聞いていた幹部も暑苦しい感じであったかもしれない。しかし「暑苦しいかもしれないけど」と前置きをているので、分かってくれていると思う。少しでも社長の本気度が伝わればよいと思う。

2019.01.15

必死の覚悟

今日は、京都にあるT社の経営計画発表会に参加した。

感想は一言、「圧巻」であった。何がそうであったのか?
それは、参加している社長、社員とも全て「声がでかい」ということである。
「へっ?」と思う方もいるかもしれない。「発表の中身じゃないの?」という方もいるかもしれない。
勿論、発表の中身も素晴らしいが、それ以上に「声がでかい」。つまり気合が入っているのである。

今の時代に「気合?」と思うかもしれない。確かに「カッコいい」とは言えないし、どちらかと言うと「泥臭い」。勿論、それが嫌いな人もいるかもしれないが、そういうニヒルな人を、私は好まない。そんな事より、気合をいれ、必死に大きな声を出している姿を見ると感動する。そう、それが人を感動させるのである。

なぜ感動するのか。先日「とある上手な演奏を聞いた話」ところでも書いたが、要するに「本気度」である。しかし今、本気になりにくい時代になっている。本気になれば、熱血指導になるし、怒ることもある。しかし、そうすると簡単に「ハラスメント」と言われてしまう。なので、経営者や上司が腫れものに触るような指導をせざるを得ない風潮になる。こんなことでは本気のぶつかり合いは出来ないし、上辺だけのコミュニケーションしかできない。それでは、あまりにもは寂しすぎる。それ以上に強い組織は決してできない。

お互いが本気になるためには信頼関係が必要である。真に社員を幸せにする覚悟があるのであれば、そして組織を強くするのであれば、社員との信頼関係を「必死」に構築し、そしてトップが本気になるしかない。それは「必死の覚悟」であるべきなのである。

今日はそのエネルギーをいただいた。K社長に心より感謝したい。

2019.01.14

日本のITインフラ

昨日の日本経済新聞の社説に以下の様な記事があった。

「公立小中高校の普通教室で無線LANが使えるのは35%」というのである。来年から小学校でプログラミング教育が必修になる。論理的思考能力を養うのが目的ではあるが、足元がこの様な状態では心もとない。どんなに子供たちの能力があっても、Wifiが来てなくちゃどうしようもない。世界のIT化がどんどん進む中でこのような状況で本当に良いのかと正直思う。

そんな中、こんなことを思い出した。大学時代にアメリカで勉強をした際にCS(Computer Science)の授業があったのだが、教室には一人一台体制でパソコンがあり、エクセルなどの使い方を勉強していた。その時日本はバブル絶頂期であったが、大学には一人一台体制でパソコンは無かった。逆にアメリカはまるで勢いがなかったが、そんな時に次の技術の基盤はコンピュータであると看破し、ソフト面、ハード面ともにインフラを整えていたのである。つまり今でいうIT化をしたたかすすめていた。

そして、前述の無線LANについて・・・アメリカでは当然だが、中国やベトナムなどでは、どんな小さなコーヒーショップでも必ず無線LANがフリーで使える(そしてそうでないと客に見向きもされない)。日本はどうだろうか?未だに無線LANのないお店がいかに多いことか。ちなみに決済については、中国ではちっちゃなボルト屋さんでもスマホで出来る。

日本は技術も高齢化しているのではないかと、非常に危機感を感じる。チコちゃんではないが「ボーっ」としている場合じゃないのである。

2019.01.13

塗師祥一郎作品展

日曜日はアートシーン

つい先週の2019年1月12日まで、川口総合文化センター・リリアで「塗師祥一郎作品展」が開催されていた。
これは、様々な方が川口市に寄贈された塗師先生の作品を展示したものであるが、非常に多くの方が来館しその絵の素晴らしさを堪能したとのことである。

塗師先生の画風や特長については様々な人が書いているので専門家に任せるとするが、今回初めて見た初期の作品は塗師先生の代名詞でもある「雪景色」とは違うキュービズム的な表現であり、力強さを感じた。

個人的に、風景画を見る際にはその場の「空気感」が伝わってくるかをいつもポイントとして鑑賞することに決めているが、塗師先生の雪景からは「きりりと冷えた空気」が流れているのが伝わってくる。そして冷たい雪景色なのだが、なぜか穏やかな気持ちにさせてくれる。なんとも不思議な魅力だ。

かつて、どういういきさつか何かの写生会に参加をした際に、塗師先生が現れた。その時、ある方の描いていた絵に対し、「これはね、こんな風にするいいんだよね」と言いながら、2.5cm幅位の絵筆に白い絵具をたっぷり付け横に一本線を引いた瞬間、絵ががらりと変わり、本当に深みのある絵になった瞬間を見たことがあった。

これが本当のプロなんだと身震いしたことを今でも覚えている。

1547384219.jpg

2019.01.13

Google home2

昨日の夜はブログをアップできなかった。
なぜならば、Google Homeの設定を息子と行っていたからである。

先日、「Google Home」を購入した話を書いた。しかし、「『ノリのいい曲をかけて』と言うと、『アシスタントとの接続云々』と言ってどうもうまくできない」状態であった。そこを何とかクリヤーしないとGoogle Homeを購入した意味がないので、「なんとかしなくては」と悪戦苦闘をしていた。

いろいとやっている内に分かったことが一つある。Google Homeとアイフォンの設定を勧める際に、同じWifiにつながっていなくてはいけないということである。よく家のWifi が「a」と「g」に分かれているが、Google Hpmeが「a」でアイフォンが「g」だと設定が上手くいかない。そんなことに気が付きながら、色々いじっているうちに、何か出来るようになってきた。そして、「最新のニュースを教えて」というと「ヘッドラインニュースJ-wave」が流れるようになり、「星野源の曲をかけて」と言うと、「星野源」の曲をかけてくれるようになったのである・・・。

普通であれば「やった!」となるのであるが・・・実はなぜ出来るようになったのか摩訶不思議で、本当のところよくわからない。なのでなんか消化不良状態なのである。更に、スケジュール管理なども出来るようであるが・・・まだまだ先が長い。

そんなことをやっていたので、昨日はブログを書く時間がなくなってしまったのである。ちなみに頼みの綱の息子はほとんど役に立たなかったが、まぁヒントはくれたので良しとしよう。

2019.01.11

バックキャスティング

年の初めにおみくじを引く人は多い。
今年1年がどうなるか、「神のみぞ知る」なのだが、であれば神様に聞いてみようというのがおみくじと言うべきか。

今を起点にして将来どうなるかを予想することはフォーキャストという。天気予報のことを「ウェザー・フォーキャスト」というのは今を起点にして明日の天気はどうか、を教えてくれることである。

しかし、この考え方では物事がうまく進まないことが多い。実際はバックキャスティングなのである。つまり、将来の理想とする姿から今をみつめ、そのギャップを埋めるためにどうするかを考えるという思考プロセスである。

更に問題解決の進め方もバックキャスティングでないといけない。つまり、相手が何をもって「解決」とするかを共有し、その「解決」ために何をどうするかを考えて進めないといけない。そうしないと、いつまで経っても問題解決せず、堂々巡りとなってしまう。お互いの向かうべき方向が違っていればボタンの掛け違いが続くのは自明の理である。一見この当たり前のことが実は出来ていない事が多い。

なので「バックキャスティング的思考プロセス」は非常にパワフルであり、ロジカルシンキングの基本なのである。

2019.01.10

率先垂範

本日、川口青年会議所の新年会に参加をした。
今年の理事長は平野君であるが、そのスローガンが「率先垂範」である。

「率先垂範」とは「自ら先頭に立って範を垂れよ」という意味であるが、それを聞いて、連合艦隊司令長官山本五十六氏の有名な格言「やってみせ、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」を思い出した。なぜなら、この格言の最初が「やってみせ」だからである。

最初に「やってみせ」とは「見本、あるいは手本を見せ」ということである。つまり範を垂れるということである。そういえば、書道はお手本を見ながら練習し、お花も先生の活けた花の真似をして練習する。では、手本や見本は誰が見せるかと言うと先生(あるいは師範)である。

なので、垂範するためには見本や手本として見せることが出来る様、自分を磨かないといけないということになる。逆に言うと、その立場に至っていない人が垂範をしたら、おかしなことになってしまうことになる。

このことは、経営者としても大事であり、常に自分自身に対し厳しくあれ、ということにもなるのである。果たして自分自身どうなのか・・・常に自省をしなくてはと改めて思うのである。

2019.01.09

それは本当に仕事か?

社会人になれば仕事をする。

では、仕事とは何か。ネットで調べると最初に出てくるのが「何かを作り出す、または成し遂げるための行動」と書いてある。これをもっとかみ砕くと、
・「何か」とは「目的に近づくための何か」、
・「作り出す」とは、「今の状態からプラスにする」ということ
・「成し遂げる」とは「達成する」こと
・「行動」とは「具体的に動く」こと」となる。
そうなると、仕事とは、「目的に近づくために、今の状態からプラスにする、または達成するために具体的に動くこと」となる。

この意味から考えると、常に「仕事をしているのか」と自問しないと怪しくなることがある。
まず、大前提として目的は明確になっているかを問わなくてはいけない。そして今行っていることが、目的達成に向かってプラス方向い動いているのか、そして具体的な動きであるのかを問わなくてはいけない。もっと簡潔に言うと、今の具体的な行動が「付加価値を高めているか」を問わなくてはいけない。

例えば電車に乗っての移動は「付加価値を高めているか」。会議をすることは「付加価値を高めているか」。「これは目的とは違うが、どうしてもやらなくてはいけない事なので」と都合の良い理屈で自分を納得させていないか。

今やっていることは本当に「仕事」なのか・・・。重要な視点だと思う。

2019.01.08

人が動くとき

先日、とても上手な演奏を聞いた。
大人の人たちが演奏するオーケストラであった。
技術的にはとても高いはず。

しかし、なぜか感動をしない。つまり心が動かされないのである。
もしかしたら自分の感受性が無くなってきたのではとも思ったが、そうでもなさそうである。
では、演奏はうまいのになぜ感動しないのか・・・それはきっとパッションが感じられないからである。

技術的にはとてもうまい大人達の演奏に対し、粗削りであり技術的にも差がある
高校生の演奏の方により感動することがある。きっとこの差はパッションである。
「こなし」の演奏なのか、「一生懸命」な演奏なのか・・・。

人は頭で動くのでなく、心で動く。そして心が動く瞬間は、相手から熱意が感じられた時である。
上辺だけのテクニックはすぐにばれる。だから、相手に熱意が伝わるよう気持ちを込めて本気であたる。

結局、技術が高くても、パッションが感じられない演奏は、上手とは言えないのであろう。
貴重な気づきである。