社長ブログ

2019年02月

2019.02.14

インターンシップ

最近の新卒採用にはインターンシップが不可欠である。一種のブームとも言える状況になっている。

なので、モリチュウでも新卒採用向け「インターンシップ」を今年から行った。内容は、鋳物の「造型」と言う工程を体験してもらうといったことである。美術大学などに通っている学生さん以外で鋳物を作る機会はまずないはずなので、かなりレアな体験が出来るインターンシップである。

「造型」という工程は簡単に言えば、砂で湯(溶けた金属の事)を流し込むための空洞部分を作る作業である。そして、造型をする際に、自分のイニシャルを入れられるようにし、それにより世界に一つのオリジナル製品が製作できる(今回は鋳物のコースター)・・・といった内容になっている。

作られた砂型には後日湯が注がれ、仕上げをした後本人に郵送されることになるという、結構充実したインターンシップになっている。

砂型を作る作業を指導するのは、今年入社1年目の社員と、今年4月に入社予定の内定者たちである。彼らももちろん鋳物については素人なので彼らにとっても鋳物を学ぶ機会となっている。

インターンシップ参加者、そして内定者にとっても、すこしでも造型や鋳物の面白さを感じ取ってもらえればと思う。いずれは、社員教育のプログラムに発展させ、その先は外部の方に鋳物体験コーナーなどが出来たら面白いなぁとも思う。

そんなことも、今回のインターンシップのような活動の積み重ねであることは間違いない。

2019.02.13

普通

「普通」と言う字を調べてみると、「いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま」と書いてあった。しかし、この「普通」というのが曲者である。

ある時とても驚いたことがあった。環境対策で日本が「ディーゼル車」に対し排ガス規制を掛けようとしたときに、逆にヨーロッパでは、環境対策でディーゼル車を促進するというのである。日本では、ディーゼル車は排ガスに窒素酸化物の発生が多いためガソリン車を推進、しかしヨーロッパでは、燃費効率の高さや二酸化炭素(CO2)排出量が少ないということでディーゼル車を推進した。

「ところ変われば品変わる」であるが、同じ車なのにここまで180度評価が違うのか・・・と驚いた。

ここで分かることは、自分の常識が他人の常識ではない、つまり自分の当たり前は他人の当たり前ではないということである。そして、それは価値観や視点が違うことによって変わるのである。

先日テストセミナーを行ったエマジェネティクスは、このことを教えてくれる。

ちなみに、価値観や視点も時代の変化とともに変わる。いまや、欧州ではディーゼル車も敬遠されはじめ、ハイブリッドカーや電気自動車への移りつつある。時の流れで普通で当たり前が変わるというのも事実である。

要するに、普通というその人や社会の雰囲気が勝手に決めた固定概念であり、実は常に定まらないものである・・・という自覚は大切なのである。

2019.02.12

効果的な伝え方

人に何かを伝えたいとき、どのように伝えればよいか。
熱く語る、相手の目を見て語る、あるいは酒を飲ませて語る・・・など諸説あるがどれも違う。

今日は、効果的な採用活動をするにはどうしたら良いかと言う話を聞いてきた。内容についてはここでは詳しく
述べないが、最も強く感じたのは、相手に伝えたいことがある時には、自分で話してはいけないと言うことだ。

人は何かを伝えられた時、基本的にだまされていはいけないという防衛反応が起きる。要するに「本当かぁ」と思うのである。しかし、第三者から話されると、「そうなのか」と意外とすんなり入っていく。第三者というのはなにも人に限らない。例えば社長が何かを語り伝えたいとき、本人が話すより、社員が話した方が良く伝わるということは結構ある。また、ストーリー仕立ての動画、新聞や雑誌の記事などもそうである。口コミが威力を発揮するのも同じ道理である。

もっとすごいのは、自分で語っているにもかかわらず、他人が言っているかのごとく話すテクニックを持っている人がいる。相当な心理的巧者と言える。

いずれにしても、他者に語らせるという視点はやや逆説的ではあるが、相手に伝えるための有効なテクニックであることは間違いないのである。

2019.02.11

油断

堺屋太一氏が亡くなった。

堺屋太一氏と言えば、小説「油断」である。これは、「日本が油を絶たれたらどうなるか」と言うややSFチックな小説であるが、現実に起こり得ることでもあり、完全にノンフィクションとも言えない話であった。いつ読んだのか、発刊が1975年なので多分小学校高学年か中学時代だと思う。しかしその内容の強烈さは今でも頭に残っており、日本の置かれた立場を感じ、とても怖いこと、それこそ油断ならないと思ったことを覚えている。

その後知ったことだが、第二次世界大戦への突入も日本へのエネルギーの補給路を絶たれたのが原因の一つ。今でもそれは起こり得る。なので油を絶たれないようにするにた、そうならないための切り札を日本も持ってなくてはいけない。

切り札を武力に求めるのは勿論短絡すぎる。そして資源のない日本では形以外のもので勝負するしかない。それは日本人の持つ勤勉性、手先の器用さ、教育レベルの高さなどである。

しかし、これが最近失われつつある。最近は休みも多いし、怠け者が多く感じる。つまり、切り札を失いつつある状態でありとても油断ならない事態である。チコちゃんでは無いが、ボーッとしてる場合じゃないのである。

もっと勉強し、もっと働かなくては。外国からの指摘で祝日を増やすなんてことはもってのほか・・・と個人的には思うのだが・・・。

2019.02.10

銅像

オレゴン州ポートランドの空港で見つけた銅像である。
銅像という位であるから、ブロンズ鋳物であり、一般的な硫化仕上げである、

銅像をみかけて写真を撮る人もそう多くはないと思うが、撮影をするとしても銅像全体を撮る人がほとんどであろう。勿論全体空間の中でのアートの位置づけや、インパクトを考える上で全体像は大切である。しかし、私の場合は職業病もありどうしてもディテールに目が行ってしまう。

今回注目してほしいのはブロンズ鋳物ならではの細かい表現である。特に手に持っている本の様なものに文字が記載されている。よく見てみると、空港に設置されているとうこととで「パスポート」と「搭乗券」と書いてある。この辺りのユーモアがとても面白い。更に搭乗券の行先が「東京」となっているのが、なんかとても嬉しかった。こんなユーモアを感じられる造型が街中にあったら楽しいだろうなと感じるのである。

残念なのは、誰をモデルにした銅像か分からないことである。
銅像

2019.02.07

先週のジムにて

毎週日曜日にジムに通っている話を以前書いたことがある。

マシンを占領してしまう人がいるのには閉しながらではあるが、最近は、シックスパックを目指して頑張っている。シックスパックとは腹筋が6つに割れている状態のことであるがが勿論そう簡単には出来ない。しかし、まずは始めなくては何も進まないということで、頑張っている。かなり遠い未来になるかもしれなにが、とにかく絞ることにしたのである。

そして、ポッコリお腹もへこんでくると、体も軽くなり、エアロビも調子よくなってくる。周囲からすると少々痩せすぎに見えるかもしれないが、人それぞれベストな体重というのがあるようで、私は今位がとても調子がいい。

そんな中、先日ノリノリでエアロビを終了し、着替えにロッカーに戻った時のことである。「今日も満足」と思っていたら、ガーン!。なんとズボン(短パン)を後ろ前に履いているではないか!

「なんで誰も教えてくれないの?」と思ったが、そりゃそう、教えてくれるわけない・・・。あの若い女性の視線は、シックスパックに近づいているお腹ではなく・・・そういうことだったのか。

ということで、とても格好悪い先週の日曜日であった。

2019.02.06

愛さんが殺害されたこと

普段はあまりこういうことは書かないが、今回はどうしても書いておきたいと思った。

それが、「心愛さん殺害」事件である。小さな子供にとって、頼れる人は親しかいない。しかしその親から虐待され、見放されたらもう逃げ場がない・・・絶望しかないのである。なんでこのようなことが起きてしまうのか・・・。それは、親が大人になっていないということである。

そして、もう一つの問題が「児童相談所」である。今までも過去に何度も同じような悲しい出来事が沢山起こっている。しかし、今回また同じことが起きた。「児童相談所」は一体何をやっているだろうか。時々聞くのは「プライバシーの侵害になるから、家に入り込むことが出来ない」という話である。しかし、本来救わなくてはいけない子供が何人も亡くなっているという事実を考えると、もうそういう言い訳は通用しない。そう、「プライバシー」という美辞麗句を盾に、責任逃れをしているとしか思えない。

勿論プライバシーは守らなければいけないし、なんでもオープンになると大変なことになる(この辺りは、ザ・サークルと言う映画が参考になる)。しかし、エセプライバシー擁護論者は結果的に人の命を軽んじていることになる。
昔は隣の子供を叱ったり、地域が子供を見守っていた。そこにはプライバシーの侵害なんていう言葉はなかったはずである。悪貨が良貨を駆逐する根源は、このへんちくりんな「プライバシー」論である。

今回の事件を、同じ様に怒りをもって感じているのは私だけではないはずである。

2019.02.05

視点

視点」とは、見るべき「目」をどこに置くかということである。

目の前にあることや、足元のことに目配りする「虫の目」。
「ドローン」のごとく上から全体像を把握する「鳥の目」。
どちらも大切である。

なので、時には鳥の目を持って大局を見極めなければならない。しかし大局を判断するうえで、世界中全ての情報を把握することはできないし、自分で全てを体験できるわけではない。そうなると、大切なのは信頼できる人から確かな情報をつかむことである。そして世の中の動きを見ながら機敏に動くこと。

言うは易し、行うは難し・・・しかし、思い切って「えいっ」と動くことが大事である。
時には勘違いもある。実は今日がまさにそうだった。が、勘違いして動いたことが結果的に良いj方向jに行くこともある。今回はまだ結果が出たわけでないが面白いことが起こりそうな予感がする。そして新しい刺激と確かな情報によって判断が変わる。

とにかく動き、今いる視点を動かす刺激を得ることは大切である。そしてそのきっかけとなるマスターマインドサークルから情報を得ることは、お金には代えがたい貴重なことである・・・ということは間違いない。

2019.02.05

ナンセンス

世の中にはナンセンスなことが沢山あるが、「出来ない人が威張る」という、こんなことを経験した人もいるのではないか。

(能力であったり、技術であったり)仕事が出来る人には仕事が集まる。そして仕事が出来ない人が仕事が出来る人に依頼をする。そしてこれが悪魔の声だったりする。

「〇〇さんだったら出来る力があるし」とか「おれ、これ出来ないからさぁ、お願い出来るぅ」とか言いながら心の底では「面倒臭いやつはあいつに頼んでおけばなんとかしてくれるからさぁ」とかいって頼むだけ頼んで、自分は知らんぷりで帰ってしまうとか・・・。ヘタすると「こんなの、あいつ(出来る人)に頼んどけばいいんだよ」とか言ってるやつもいる。

受けた方はアップアップなので、なかなかはかどらない中、「ところであの件どうなった?」としゃぁしゃぁと聞いてきたりする。場合によっては「まだかよ」とか言われる。「じゃぁお前やれよ」ということになるのだが・・・。

出来ない人が得をして、出来る人が損をすると、俗に言う正直者がバカを見るという不公平感は絶対になくさなくてはいけない。出来る人が評価される。出来ない人は評価されない。当たり前の話である。とにかく、出来ない人が偉そうにするのだけは絶対に許せない。うーん、出来ない人というよりは、「癖の悪い怠け者」と言った方が適切か。もしそう輩がいたら、外に放り出すか、無視する限るのである。