社長ブログ

2018.08.28

奇跡の社員(3)

昨日の記述の中で「今回の炎症を起こしている細菌に効く抗生物質を試す治療が続けられるのである」という記述に気が付いたであろうか。要するに、訪中した時にはこれと言った決定的な治療方針がまだ決まっておらず、様々な抗生物質を「試す」手探状態で治療が進んでいたのである。「なんということか?」とお思いになる方もいると思うし、私自身もそう思った。しかし、これについては中国の医療チームを非難することは出来ない・・・と後で分かった。

実は中国での急性壊死性筋膜炎症の発症例は非常に少ない。大連大学附属中山医院(大連鉄路医院)ではこれまでにHを含まず3人の症例しかない。大連大学附属中山医院(大連鉄路医院)は、「鉄路」という文字からも想像できるかもしれないが、実は「旧満鉄病院」であり、その起源は日本国であり、満州国が存在していたころからあった病院なのである。つまり歴史は古い。勿論いつから数えてかは不明であるが、つい最近の話ではないことは容易に想像できる。そして、同じ病に見舞われた患者のうち2人は死亡、一人は命はとりとめたものの、片足を切断となった。なので、間違いなく中国全土、あるいは世界中から情報を集めつつ、手探り状態での治療を続けていたはずである。中国側医療チームの「この患者は絶対死なせない」という執念がここに見て取れる・・・がそのことを理解したのはずっと後のことである。。

手探りでの治療方針、言葉の違いからくるコミュニケーションギャップ、いつまで続くか分からない膠着状態。そして最悪は限られた情報の中で究極の判断をしなくてはならないかもしれないプレッシャー。気丈に頑張る娘さん。不安に押しつぶされそうになりながら懸命に状況見守っている奥様。そんな中数日がむなしく過ぎて行く・・・。全体に徒労感が広がりつつあった(続く)。