社長ブログ

2018年09月

2018.09.08

奇跡の社員(13)

さて、これまで「奇跡の社員」の救出劇を連載(?)してきたが、チャーター便の金額については述べていない。これについては自分から言うべきことではないと言うのが自分の信念である。興味のある方は小山昇さんの書籍「数字は人格」をお読みいただくか、「モリチュウ チャーター」で検索すると、その書籍の紹介記事があるので、ご覧いただきたい。

そして、なぜこのタイミングで書いたのかと言うと、自分の記憶がまだはっきりしている内に事実をじっかりとまとめておいた方が良いと考えたからである。そしてもう一つ、社員に全貌を伝えておく必要があると感じたからである。社員はHを移送したという話は知っているが、その裏で緊張の連続があり、様々なドラマがあり、どのようなギリギリの決定があったのか、その詳細を知らない。そして実はH本人も知らない裏話が沢山あった。社員の中にはこの話を他の人や学生さんにするのを「自慢しているように受け取られるので話したくない」と躊躇している者もいた。もちろん私自身が自慢気に話をしたら興ざめだが、社員には誇張せず、しかし事実を堂々と誇りを持って話してほしいと思っている。なので今、しっかりと伝えておく必要があると感じたのである。

この経験から何を学ぶべきか。それはスピーディかつ沢山の選択肢から決定をするには、手元に時間とお金の余裕が必要だということである。私の場合は社員がしっかり働いてくれているし、金融機関からの借入れをしていて、たまたま手元に現金があった。だからこのような決定が出来たのである。そして、その話を金融機関の方にお話をしたら「お役に立てて嬉しいです」と異口同音におっしゃっていた。

今後もこの経験をしっかり生かしていきたいと思う。

2018.09.07

奇跡の社員(12)

さて、ここからは後日談である。退院後、飛行機に乗れるまで回復をしたHは、今年の6月再び大連に飛んだ。勿論仕事もあるが、同時に当時治療をしてくれた先生に対してお礼に行けるよう出張を組んだという側面もある。

その日の仕事を終えたHは、あの時最初にホテルの部屋にかけつけてくれたOと一緒に大連中山病院に行った。中国ではこのような時、感謝状を持って行くらしく、その感謝状は赤い紙に書くのが習慣らしい。Hは車の中でOから装飾も何もない普通の赤い画用紙を渡され、その場でお礼状を書いた。急なことで気の利いた言葉も思いつかず、また、車中の為書きづらいことこの上なく、ましてや渡された筆記用具は作業現場で使う太いマジック。お世辞にもきれいな字とは言えない、そして小学生並みの感謝状が出来上がり、それを持って病院に入ったが・・・そこで待っていたのはなんとテレビ局のカメラクルーであった。「不治の病から奇跡の生還をした日本人が、初期治療をした先生にお礼に来た」というのは大きな話題となっていたのである。テレビカメラが回る中、Hは先生との再会し、お礼を伝えた。その様子は、「普通の赤い画用紙に書かれたお世辞にもきれいとは言えない字で書かれた感謝状」と共に、中国全土に流れたのである(本人談)。

また、治療をした先生自身もドキュメンタリーの特集番組に出演し、一躍有名になっていた。そして、その番組内でもHのその感謝状は放映されたとのことである。

2018.09.06

奇跡の社員(11)

重病のHはやっとのことで東京女子医大病院に入院した。これで日本で治療が出来る。ここで本当に「ホッと」出来た。Hの家族も同じ思いであったと思う。そしてチャーター便に同乗してきた娘さんの、最後まで気丈であった姿勢には敬意を表する。

Hの帰国翌日、月曜日の午前11時頃、領事館の方(矢崎さんという女性の方である)にお礼の連絡をした。そしたら、チャーター便を依頼した会社からも領事館に連絡があったとのことで、無事移送できたことを喜んでくれた。

同日、昼食時にチャーター便をお願いした会社からメールが届いた。青島経由で飛行距離が伸びたのと、為替レートの関係で、追加金額が発生するとのこと。確か20万円程度だったような気がするが、「もうどうでもいいっ」感じでオッケーした。

その後Hは東京女子医大で治療をつづけ、簡単ではなかったが、何とか三ヶ月後に退院、その後リハビリを行いながら少しずつ職場復帰を果たした。前述の通り、いまでは完全復帰している。東京女子医大の先生の話では、大連での初期治療が適切であったため、命を取りとめることが出来たとのこと。また、結果的に本人の足を切断しないという決断も正しかった。途中色々あったが結果的にはすべて上手く行った。まさに奇跡である。

その後、「急性壊死性筋膜炎」の大連での症例が少ないため、Hの治療経緯を示したカルテと写真が欲しいと大連の先生から言われていた。女子医大の先生も協力的で、気持ちよく提供してくれた。大連の先生にとっては貴重な資料であり、学生に対する教材にもなったはずである。そして何より、「3人中2人が死亡し、1人は足を切断をした」という実績しかなかった「大連大学附属中山医院」にとって、足の切断もせずに生き伸びたH自体も、奇跡であったはずである。

2018.09.05

奇跡の社員(10)

飛行機が成田に着陸し、荷物をピックアップ、通関を通り帰りのスカイライナーに乗ったところで、現地スタッフのKからウィチャット(LINEのようなもの)が届いた。翌日、つまり3月12日に「飛行機が飛ぶことになった」とのことである。本来であれば歓喜すべきところだが、心身共に疲れ果てていた私は「良かった」と息をつくのが精一杯だった。

結局チャーター便は、大連から直接羽田(東京女子医大は東京なので羽田に着陸する予定になっていた)には飛ばず、青島を経由して羽田に飛ぶことになった。何故こんなことになったのか?正確には分からないが、聞いた様々な情報から考えられるのは、北朝鮮の存在・・・その頃北朝鮮は、日本海に向かってたびたびミサイル発射実験を行っていた。

通常、成田から大連への飛行ルートは一部北朝鮮の上空を通る。当然であるがチャーター便も同じルートを通ると思われる。しかし、普段運航している飛行機ならいざ知らず、通常のスケジュールに入っていない飛行機が上空を飛んだ際に、もしかしたら怪しい物体と勘違いされ最悪ミサイルが飛ばされる可能性がある。もしチャーター機が爆撃されたら当然最悪の事態であるが、仮にミサイルが当たらなかったとしても、発射しただけで、間違いなく国際問題に発展する。下手すると戦争になる。飛行機が飛ばない理由を聞いていた際に「外交上の問題で・・・」と確かに言っていた。後から考えれば「なるほど」ではあるが、その時は詐欺の口実としか捉えていなかったのでまともに聞いていなかった・・・。

地図をよく見てみると、先ほど書いたように大連から東京を直線で結ぶと北朝鮮上空を通るが、青島からだと通らない。実は、今回の移送計画は、国際的な問題をも巻き込んでいたのである。

移送を計画してくれた人たちは最悪の事態を避けるために必死に飛行ルートの検証をしてくれていたのであろう、その為に時間がかかっていた。「振込詐欺」だなんて疑ったのは本当に申し訳なかったと思う。けど、もう少し詳しい状況を教えてくれてもいいのに・・・とも正直思った。

2018.09.04

奇跡の社員(9)

日本側の受入病院もみつかり、支払いも完了し、全ての段取りが終了した。やっとの事で、Hを日本に帰せる、と思って一安心したが、ここでもう一つ、とてつもなく大きな問題がでた。

なんと「飛行機が飛ばない」との連絡が入った。天候は問題ない。理由は分からない。なぜ?・・・。お金は振り込んでいる、理由も分からす飛行機が飛ばない・・・。「まさか」とは思ったが、よからぬ事を想像せざるを得ない状況だ。急いでいた為、相手の会社に行ったわけではない。業者の相手とは携帯でのやりとり。そして飛行機が飛ばないという連絡があった以降、電話が通じない・・・。冷静に考えて「振り込め詐欺・・・」。疑うに十分な状況だ。「オレ、やっちゃったかも・・・?」。完全に力が抜けた。

金曜日の午後2時以降、全く動きが無くそのまま夕方になり、その日はホテルに戻った。Hの家族にもどのように説明していいか分からない。悶々とした一夜を過ごす。

翌日の朝、つまり私の帰国日になっても状況は変わらない。土曜日ではあったが領事館に電話をして状況を伝え、確認したが、担当者は「良く使われている会社なので大丈夫だろう」とのこと。その後「もし何かあればまた連絡してください」とのこと。この言葉は、切羽詰まった状態の私には非常に嬉しかった。

そうは言ったものの、チャーター機は飛ばない。そんな状態の中、帰りのフライトの時間が近づく。あとは現地スタッフのKに対応を委ねるしかないと腹をくくり、割り切れない状況のままで奥様とともに帰国した。

2018.09.03

奇跡の社員(8)

日本で受入れる病院が見つからない限り、チャーター機は飛ばせない。その状況で多額の費用を振り込むのはリスクが伴う。一度振り込んだお金を返してもらえるか分からない。ましてや海外となるとそのリスクは高まる。なんとしても受入れ病院を早く見つけてもらわないと・・・。受入れ病院はHの親戚が必死になって探していた。

2017年3月10日金曜日、午後2時。受入れ病院が決まったとの連絡が入った。様々な情報網を駆使して探した結果、東京女子医科大学病院が受入れ承諾してくれたのだ。「間違いないですね!」と確認をし、その後即「すぐに送金しろ!」との指示を会社に連絡。その後「送金画面を写真に撮ってすぐにメール!」と指示、それをチャーター機を手配する会社にメール転送。相手から確認OKの連絡が来て、移送が具体的にスタートをした。下準備は出来ていたので準備完了後、本人を移送するだけとなった。

実は、ここに一つのドラマがあったのが理解できるだろうか。電子送金が可能なのは午後3時まで。受入れ病院が決まったのが金曜日の午後2時。翌日は土曜日なので送金は不可。このタイミングを逃すと、月曜日の送金になってしまう。戦っている相手は進行性の病気(しかもものすごく早い)。この間に容体悪化も当然考えられる。そして私の帰国予定は3月11日土曜日。現場指示が出来なくなる。もし受入れ病院の決定が2時間遅れていたら、また違った展開になっていたかもしれないのである。

そう言う意味では、金曜日の午後2時というのはギリギリのタイミングだったのである。極度の緊張感・・・さすがに私もヘトヘトだった・・・が更にこの後トラブルが発生するのである。

2018.09.02

日曜日はアートシーン

なんとも彫刻的な門扉である。

この門扉は木工の彫刻家具などを作っている田原良作先生が原型を制作し、それを鋳物にした門扉である。材質はアルミ鋳物。フレームは鉄で構成をしているが、前面にアルミ鋳物の縦格子が来ている関係でフレームが目立ちにくくなっている。そして、常に「木の素材感」と「素朴さ」を大事にする田原先さんの基本を、アルミ鋳物という金属素材に置き換わっても感じる取ることが出来る。

リズム感を大切にするのも田原さんの特長。左右の対照なフォルムがそのリズム感を演出している。柔らかく自然な曲線で構成されるバラスター(縦格子)一つ一つは木の枝のようにも見え、あるいは人の骨のイメージにも見える。前者の視点では「本人の優しい人柄」が滲み出ていると言えるし、後者の視点で言えば「生命感が湧き出ている」とも言える。見方によっては「官能的」とも言える。

決して大きいとは言えないが、木と鋳物の両方の良さを理解している田原さんの世界が見て取れる作品だといえる。ちなみに、田原先生は「川口総合文化センターリリアのロビーのベンチ」や、「医療センター壁面レリーフ」など川口市内の建築にも作品を残している。

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2018.09.01

奇跡の社員(7)

「人喰いバクテリア」に侵されたHを日本に帰すことに決めたが、当然ながら普通の飛行機には乗れない。そしてドクターからも危険を侵して日本に帰すのであれば医者と看護師が付き添いであることが条件と言われた。

勿論そんな特別機をチャーターした経験はあるはずもなく、どこに頼んでよいか分からない。藁をもつかむ気持ちで連絡をしたのが大連にある日本領事館である。そしたらこのようなケースが他にあるのだろうか・・・即幾つかの会社を紹介してくれた。

その一つの会社に連絡をしたところ、すぐに営業担当者が病院に来てくれるとのこと。しばらく待つと、すぐその担当者がやってきた。その会社の簡単な紹介を聞くと同時に、こちらの状況を伝えた。その後見積を提出してくれるとのことで、その返答を待っていた。そしてメールで見積が届いたのであるが、その金額を見て、ある程度は覚悟をしていたものの、やはり一瞬ひるんでしまった・・・。しかしこれはすでに決めたことであるし、ネゴや見積比較が出来る時間もなく、同時に振込みの確認が無いと一切の段取りがスタートしない。なので、即指定された口座に振込みの準備をするよう会社に指示をした。だが、最後の段階でチャーター機を飛ばすことができる条件が一つ足りていななかった。

それは、「日本側での受け入れ病院がみつからない」ということである。医療専用機を飛ばすには、受け入れ病院が決まっている必要がある。そうでないと、日本に飛行機が到着してもその後の行き場がなくなる。日本の医療機関であればある程度受け入れが出来ると思っていたが、難しい病気であるため、どこの病院も患者の受け入れに消極的であった。そして、受け入れ病院がみつからないまま、また無為な時間が過ぎていった。