社長ブログ

2018年10月

2018.10.31

名前(3)

名前についての考察を続ける。

次に、これは昨日書いた名前のIDとしての役割に通ずることではあるが、名前、特に「姓」には「便利」という側面がある。時々同じ姓の人が集まっている地域がある。例えば「佐藤さん」が沢山いる地域で「佐藤さん」と呼んだら沢山の人が反応することとなる。実に不便である。実は今日お昼の時間に従弟の森さんと一緒だったのだが、ある人が「(従弟の)森さん」と呼んだ時、一瞬自分が呼ばれたのかかと思い、「ドキッ」とした。そう考えると各自が様々な異なる姓を持つことは、日常生活においてとても便利なのである。

また、「人を人たらしめるもの」という役割もある。これはどういうことかと言うと、囚人を考えてみると分かる。囚人は囚人故に「番号」で呼ばれる。なので名前で呼ばれるということはちゃんとした人として認められていることになるので、ここも重要なポイントであろう。

2018.10.30

名前(2)

名前についての考察を続ける。

昨日は、名前とは「自分自身が誰かを伝える道具」であると書いた。もし、自分に名前が無かったら、自己紹介をどのようにするか・・・とてもやりずらいことが想像できる。

「自分自身が誰かを伝える道具である」と言うことは、「他者との違いを明確にする道具」であるともいえる。よくIDと言うが、これは'identification'の略であり 身分証明とか身分証明書の意味である。そしてこの言葉は'identify'(識別する)という意味や、’identity’(アイデンティティ)にもつながる言葉である。つまり名前は自分自身を他者と識別するためのIDとしての役割も担っている。そして、そこには、物理的に識別をするだけではなく、その名前自体が、その人自身を象徴的に表すものであったりする。「○○さんらしい行動」とか「○○君らしいふるまい」といった表現は、これにあたるのではないか。つまり、名前は他者と自分を物理的に識別するだけでなく、精神的に識別する役割も担っているといえるのだろう。

2018.10.29

名前(1)

先日、「川口市市産品フェア」にて鋳物製の表札を展示した。

様々な方とお話をし、「鋳物の表札を是非知ってほしい」と伝えているうちに考えたことがある。それは、表札には苗字や名前が書かれているが、そもそも名前(ここからは、「名前」は「苗字と名前」を合わせたものとして書きます)とは何なのかということである。

まず、誰もが思いつくのは、自分自身が誰かを伝える道具であるとうことであろう。「道具」なんていうと「失礼な」と言われそうだが、勿論名前を軽視しているわけではない。ただまず実務的に考えるとそうなる。もし、名前がなかったらどうなるか、考えてみると分かる。「えーと、となりの顔の長いあなたさん」とか、「いつも眠そうにしている丸顔のあんた」とか言っていたら大変だし面倒くさい。そして、そこに親しみは生まれにくい。そう考えると名前とはコミュニケーションを円滑に行うためのとても便利な道具である・・・と言える。
(つづく)

2018.10.28

日曜日はアートシーン

都内のとあるレストランで見た手摺というか、ハンドレールというべきか・・・。オールドアメリカンなスタイルのお店のアートワークで、木基調の内装に非常にマッチしている。

全体的にはシンプルな形状であるが、支持柱に曲げ加工がなされ、それが連続すると流れが生まれ、全体が一つの作品となる。総じてとても柔らかい雰囲気になっているが、その雰囲気を演出している要因は全体のフォルムと「鉄」という素材である。鉄は物質的には固いが、見た目はとてもやさしく、やわらかい素材である。特に無垢材からは朴訥とした表情がにじみ出てくる。私はそれを良く「素材が語りかけてくる」と表現している。鉄は赤錆が出るという理由で避けられ勝ちな素材であるが、室内装飾であれば十分に使え、その魅力をいかんなく発揮できる。

鉄の語り掛けてくる声をしっかり受けとめ、その魅力を十分かつ分かりやすく伝えられたとき、初めて一流になったと言えるような気がする。

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2018.10.27

市産品フェア2日目

今日は市産品フェア2日目であった。

今日も沢山の方にブースにお立ち寄りいただいた。数あるブースの中でモリチュウに少しの間でも立ち寄って、見ていただけたことに心より感謝申し上げたい。

そんな中更に嬉しいことがあった。今日、会社はお休みである。市産品フェアのブースには社員が当番制で、半日交代で担当をしているが、折角のお休みにもかかわらず、当番ではない多くの社員がブースにやってきて顔を出してくれた。わざわざ電車に乗ってきてくれた社員や、小さなお子様と一緒に家族で来てくれた社員もいる。勿論お客様対応をするわけではないが、差し入れまでしてくれた社員もいた。

市産品フェアの参加は今回で4回目であるが、これは今までで初めてのことである。会社の一体感を常に考えてきた私としては、こんなに嬉しいことはない。このような社員の温かい気持ちに接することで、あと一日杯頑張ろうという気持ちにもなれる。社員に支えられている幸せ者だと感じた1日であった。

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2018.10.26

率先垂範

昨日書いた通り、本日は川口市産品フェア初日であった。

我が社のブースにも満員御礼とまでは行かないが、多くの方にご来場いただいた。大変ありがたいことである。

実は、今回の市産品フェアはある明確なミッションがある。ミッション達成のためにはご来場いただいた方にお尋ねしなくてはならない。見も知らぬ方にお声をかけ、ご質問をするのは少々気が引けるもの。弊社の社員もほとんど固まった状態で市産品フェアの開会を迎えた。

今日の日めくりカレンダーには「やってみ、言って聞かせてさせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」と書いてある。あの山本五十六の名言である。なので、まずは率先垂範ということで、やり方を見せ、ひとつのパターンを何度も見せた。

前半はなかなか声掛けできなかった社員も、最後は積極的に問いかけをしていた。「言わなくても分かるだろう」は、今も昔もナンセンス。リーダーの率先垂範が基本なのであろう

2018.10.25

市産品フェア

明日から日曜日にかけて川口市産品フェアが開催される。

川口市産品フェアとは川口市内の企業が自社で制作をしているものを展示紹介するイベントである。主催は川口市で市内のビジネス活性化に向けて市長が肝入りで行っている事業である。

モリチュウでは昨年に引き続き「鋳物製和コースター」と、新たに「imono表札」の参考出品を行うことにした。地元であるので顔見知りの方もいらっしゃる。なので去年と同じものを出すわけにはいかず、バージョンアップを余儀なくされる。ある意味「外圧」的要因であるが、逆にそれによって様々な取組みが進む。そういう意味でもこのようなイベントは私たちにとってとても良い機会になる。実は今回も最後バタバタ劇があったのだが、これを何回も繰り返すうちに、だんだん慣れてくるはずだ。毎回少しずつ、前進しながら継続していくことが大事だと思う。

明日から三日間、ご来場者の皆様の声が楽しみである。

2018.10.24

ブログの文字数

毎日ブログを書いている。

そうすると意外な人が読んでくれている時があり、それを聞くとやはり嬉しくなる。今日も意外な人と意外なところでお会いし、ブログを読んでいるとのお話を聞いた。一瞬嬉しかったのだが、その歯に衣を着せない秋葉原に本を印刷する会社を経営する意外な人Hさんに、「長くて読むのが大変なんだよなぁ」と言われてしまった。たしかに私のブログは長いのかもしれない。しかしHさんの話の長さ比べれば・・・とは思ったのだが(笑)。

来月、モリチュウに30人位会社見学に来る。その時に社員が発表する原稿の添削をしていたが長いのでばっさり削った。と、その時ふと思った。「オレのブログもこんな風に長いと感じてられているのかもしれない・・・」。こんな社長の下で働く社員は、社長以上にはなれない・・・と反省をした次第である。

なのでHさんの声を素直に聞いて、ブログを短くする決定をした。目標は原稿用紙1枚の400字前後としよう。

2018.10.23

「ため息厳禁」

我が社には「ため息厳禁、罰金500円」というポスターである。
このポスターはお客様や様々な来客があると、結構目に付くらしく大変好評である。

先日「笑点」で「あなたは何故ため息をつくのか」という問いかけに答えなさいという問題が出された。それに対する答えは、
「息をずっと吸っていると苦しいから」
「カップ焼きそばを湯切りした時、麺を全部シンクに流してしまったから」
「息をしないと、死んでると思われるから」
などという珍答があった。ギャグとしては面白いが、実際に隣でため息をつかれると嫌な気分になる。

このポスターは、実際にため息ばかりつく社員がいて、何回も注意しても直らなかったので見るに見かねて作った。そうしたら効果てきめんで、それ以来ため息をつくことは無くなった。1回500円の力はすごい。しかし私の前でため息をつかないだけで、きっと見えないところでついているであろうことは想像できる。人の習慣は簡単には変わらない。

誰にでもため息をつきたくなる時はある。実際私だってしょっちょうある。しかし我慢をしている。なぜなら、自分のため息で周囲の人たちをいやな気分にさせる権利は、誰にも無いからである。このことは肝に銘じておかなくてはいけない。

2018.10.22

「出すこと」

人は食べ物を食べないと生きていけない。

「こんな当たり前のこと今さら」と思うかもしれないが、人は生きていく上でエネルギーを使うので食べないと死んでしまう。しかし同時に食べたら必ずしなくてはいけないことがある。それは「出す」ことである。健康であれば、とてもスムーズに出てくる。そんな時はともて気持ちが良く爽快である。逆に出すことが上手くできないと、非常に苦しくなる。つまり、生きていく上で「入れる」ことも大事だが、「出すこと」も同じ位大切なのである。これは自然の摂理である。

さて、「種を撒かないと芽が出ず、花も咲かず、実も出来ない」ように、人生や仕事においても、種を撒くことの大切さを説く人たちがいる。私も賛成である。そして、このように自然の摂理から学ぶことは実に多い。そうであれば「入れることも大事だが出すことも大事」である、という自然の摂理からも学ぶことがある。

頭の良い学生が大学院まで行き、その後研究者の道を歩むが、研究が目的となってしまっていて、その研究で世界をどのように変えるのかを見失っている人たちがいる。よくセミナーなどに行って様々な勉強をする経営者がいるが、学んだことに満足をしてしまい、その後何も実行しないケースも多い。これらは「入れる」ことはするが「出すこと」をしていないケースと言え、どうもすっきりしない気分である。つまり、消化不良かふん詰まり状態と言える。

かくいう私もそういう傾向にあった。なので、最近は「入」と「出」のバランス取るようにしている。頭でっかちにならず、どちらかと言うと行動をすることが大事なのである。そしてお腹がすいたらまた食べれば良いのである。